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2006年08月08日

オンパク街歩き

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今日はスクールカドワキの門脇さんレクチャーのもと、湯の川散策にいってきました。もちろん湯の川オンパクに関連して!今日教わったことを忘れないうちにこのブログに記しておきます。

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▲ってか、こんなにたくさんのフリップが・・・。

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▲大正初期、湯の川の銀座通りと言われたこの通り(現函館信金の通り)には「湯の川」が通っていたそうな。


▲手前が大正、奥が現在の地形。どうして川の流れを強制までしていたのかというと雨が降ると水かさがまして「洪水」になっていたからだそうな。

で、現在は閑散としているこの近辺でしたが、銀座通りと言われていたくらいなので大正時代は湯の川の繁華街だったそうな。で、こぞっていろんな人が旅館をはじめたため「温泉」が出なくなったそうな。で、旅館は浜側にうつったということです。

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▲湯の川の阿里利。ここは村役場だったそうな。

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▲竹葉新葉亭の裏。ここには千人風呂があったそうな。

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▲観光ホテルの駐車場ですが、ここには釣堀があってにぎわっていたそうな。

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▲育てるのが難しいとされているため有名な黒松林。

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▲現在の市民会館は、「新世界」という遊園地があって、善宝寺という寺が裏手にあったらしい。この寺がまた京都の清水寺にそっくり。

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▲ご存知旧戸井線。戦争中、物資の搬出にのみ使われ、実際に一般市民に列車として使われたことはなかったそうです。

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▲湯川寺。33の観音様を全国から集めたそうな。

とまあ、簡単ですがざっとこんな感じ。

別府との明らかな違いは、残っている資源が少なすぎる!ということ。今回それに気づいたのは収穫でした。「ここにはこれがありました!」「けれど資源は残っていない・・・」という感じ。残っているのは黒松林と旧戸井線くらい?
別府では遊郭だったところが喫茶店として使われていたりして資源が残っているため、街歩きを体験した人にたいして「説得力」のある説明ができていたように思えます。しかし、湯の川で街歩きをする場合それがないので、どのようにしたら参加した人にあきさせないで「説得力」のある説明の演出ができるかというのが課題になりそうです。西部地区や大門地区のように残っていればね・・・。



投稿者 sen59 : 2006年08月08日 23:59| オンパク

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