8月 6, 2011 - FUN    No Comments

はこだて科学寺子屋2日目

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はこだて科学寺子屋の2日目!
今日は西部地区の二十間坂にある東本願寺函館別院で行われました!お寺でお勉強ってワクワクします!
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田原良信函館博物館館長をゲスト講師に西部地区の歴史をお話していただきました!
明治22年に水道インフラが整ったことで、ようやく都市拡大が本格的になってきたお話から始まりました。キーワードになりそうなことを下記に列挙します。
・明治12年の大火が起きた後は、新しいものを常に追求し、復旧ではなく復興という形を追求し、区画整理を行い幅広い道にすることで大火の延焼を防いだ。幾度にもおよぶ都市改造を行ったきたまちが函館。
⇒ハイカラは外国人の洋服の襟(カラー)が高い(ハイ)ので、ハイカラといわれていました。いわゆる懐古主義(ハイカラ)ではなく、本質的に斬新な形での復興なのでモダンな街であると強調されていました。
・明治22年の水道整備と同時に、掘割を埋め立てて道路にした(不自然にカーブした幹線道路)。
・全国に先駆けて、緑樹帯(グリーンベルト、防火帯の役割)を二十間坂に整備(明治14年から)。見てくれよりも街が長持ちするように・・・。道路拡幅され、麓の寺社はどっと坂の上のほうへ移転していきます(行政主導。計画的)
・函館は寄付の街であり、奨励金がたくさんおりた街でもある。
⇒杉浦嘉七が大金を寄付して現在の西埠頭を作った他、明治13年ころを境に建造物が土蔵造りからレンガづくり(不燃気質)になっていった。耐火建築物(明治13年の金森洋物店など)には国から奨励金が出た。
・明治25年~30年、埋め立てによる港湾機能の大型化・大規模化。杉浦嘉七が私財を投じて西埠頭をつくったのもこの頃。
・レンガ造りには「フランス積み」と「イギリス積み」がある。明治20年以降はイギリス積みが主流に。なぜなら・・・コストがかからず楽につみあげていけるから!旧開拓使函館支庁などの行政の建物はお金がたくさんあったので、フランス積みだが書籍庫は増設したものなのでイギリス積み。

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それがコレ!(郷土資料館の後に行きました)
・「レンガ造り」+漆喰塗りの「白壁」仕上げが、様式を超えた函館建築の共通の特徴に!商家や商店、イギリス領事館やハリストス正教会がレンガ造り!(コレ、実は知ってる人がそんなに多くないと思う)
・道路拡幅のために、2階だけを洋館に、1階はそのまま土間付きの和風商家建築で「和洋折衷建築」の建物が増えてきました。(お金のない人は2階の洋館は安く作れるとか、街並がきれいになるとか俗説がたくさん・・・)
・そのあと、コンクリート建築も増えてきました(東本願寺など)!
田原館長!長時間、熱いお話ありがとうございました!
お昼を食べた後は各班でフィールドワーク!私が所属する班は教会郡をまわったあとにまちセンへ・・・最初、準備不足と他力本願な質問をしてしまってちょっとおしかりをうけてしまいました・・・ありゃりゃ。私の学生指導不足と反省しています。
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丸藤センター長からレクチャーをうける学生たち。
それでも、支援センターとしてのまちセンの役割とか建物について調べてもあまり出てこないこと(大理石の階段が昭和9年の大火の前は「木」であったとか、東北以北最古の手動式エレベーターは気温や湿度によって止めるタイミングのコツが違うとか)は丁寧に教えてくれました!ありがとうございます。
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そのあと、郷土資料館へ・・・学芸員の方に丁寧に御説明いただきました!
レンガ造りであるかどうかを確認したりもしました!2階にある模型をあらためてみると・・・明治13年当時、いろんなものが流通していたんだな~と改めて思いました。
この後、元町公園にいって、東本願寺に戻りました!(その間、ソフトクリームも食べた)
明日は各班で「タイムトラベルツアー」の発表です!今日見つけたコンテンツや発見を、明治~昭和までの函館の街に落とし込みます。仮想ユーザを立て、旅行しにきたと仮定してストーリーボードで発表しあいます・・・できるかな・・・w
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14位に落ちた?!どんどん落ちてゆく。
No More Hairさんががんばってます!w
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