7月 15, 2013 - 日記    責任 はコメントを受け付けていません

責任

※長いです。

自分の学生時代を振り返ると、昨日は思うことがたくさんありました。

自分が当時しっかり出来ていたなんて思えないし、彼らに対して強く言える資格があるかどうかわからないですが、ただ言えることは、いまの自分があるのはあの学生時代があったからということです。時には大人の方に間違いを叱っていただき、時には激励してもらえる機会が多々ありました。よって、私が学生時代にお世話になった方々には今でも頭は上がりません。そんな私を鍛え上げてくれたのは、他でもないあのお祭りでの活動です。

結果から言うと、今回のお祭りは本当にひどかった。名称が昨年から大門祭→大門合同学生祭に変わってからというもの、大きな軸がブレ始めた気がします。あのままだと大門全体にとってもマイナスです。

こんな風に個人のブログでとはいえ、ネットで発言することで多方面に不快な思いや不信感を抱かせてしまうのは覚悟の上です。自分のキャラ的にネガティブキャンペーンはしない方ですが、それをせずにはいられないひどいレベルでした。むしろそれくらいしないと彼らには伝わらないと思ったから書くことにしました。

最近思っていることは、思いや価値観は100%引き継げないということ。
逆にこれだけ引き継げればあとは何とかなると思うのです。
失敗しようが、どうなろうが軸さえブレなければ支援してくれる人はたくさんいます。
年を追うごとにちょっとずつ引き継ぎの%が減っていったのだと思います・・・

こうなってしまったのは、彼らが育ってきた教育背景が不幸な結果を招いているだけな気もします・・・
切磋琢磨する機会、人に頭を下げたり、お願いしたりする機会の減少。
失敗は恐れるけれども、それでも試行錯誤しようとする貪欲さの欠如。
やはり人間性を養える機会が圧倒的に減ったと思うのです。教育は本当に大事です。
職場で子どもたちと接すると本当にそう思います。

そして、学ぼうという姿勢がない人間は誰も支援してくれません。若いころに叱られることが多いことで感性に磨きがかかります。スポンジのように吸収し、どんどんスキルアップしていきます。どうやら、そのせっかくの機会を自分たちから断っているように思えます。これは上にも書いたとおり、教育の問題と直結していると思います。
少子化により、昔と比べて学校などで様々な価値観と触れる機会が減ったこと、親以外から叱られ慣れていないこと、「やらない」という選択肢が許されること、親が全部解釈してあげて言葉少なになってしまったこと。これらの結果として、想像できない叱責を恐れて「やらない」「考えない」「人と接しない」という選択をしてしまうのだと思います。(逆に言うと、そういう背景から祭りという形自体がいまの時代にそぐわない形になってしまい、取り残されていることすら誰も気づいていないのかもしれません。結果として何かに無理がかかってしまうという負のスパイラル・・・)
若いうちは自分に対して厳しくしてくれる人ほど大事にしなければならなく、苦労は買ってでもするものです。そういう環境にあること自体がこの上ない幸せだと思うのです。言われているうちが花。言われなくなった人間が社会に放り出されたら誰も助けてくれません。

いままで何年間も、OBとして口出しはしたことはありませんが、今回だけはかなりきつく苦言を呈させてもらいました。本来ガタガタいうのは好きじゃないのですが・・・祭りのコンセプトどうこう以前に、大枠がブレているのは問題です。名称が変わった(大門祭→大門合同学生祭)とはいえ、大門でやることの意義、たくさんの学生が関わることの意義はしっかり議論してコンセンサスを整えるべきです。

だって、「人の金」を使ってやらせてもらっているんだから!
私にはそれに対する誠意がまったく見えませんでした。
たいていの大人は学生への投資に対する効果や見返りなどは求めていませんが、好き勝手にやっていいというわけではありません。好き勝手な飲み会は自分の金でやればいいと思います。人の金で食べたものはどこか後味が悪いものです。自分たちはすごいことやってるんだという「おごり」「やってやってる感」、そして「受身姿勢」をたくさん感じました。(まあ、これは往々にして大人の世界でもよくある話ですが・・・)

極端な話、イベントの中身とかはどうでもいいです。そんな細かいことへは口出しする気はありませんし、失敗が見えていてもそれは私が言ってどうこうすることではなく、自分たちで気づいて学ぶことです。失敗は自分たちでしてこそ理解につながります。そこから自分自身の無能さに気づいて、猛省し切磋琢磨するようになるのだと思います。それに気づけるのと気づけないのとでは、0と100の差です。
私個人としては、祭りを通して学生が失敗することからスキルアップし、恩を感じて函館が好きになったり街に根付いた活動を始めたり、卒業してから函館を第二の故郷と思ってもらい、将来は函館のお客さんになってもらえればいいと思っています。

私はいま、若い人を支援する立場におかれています。
函館には本当の意味で志を高くして素晴らしい取組をしている学生や若い人がたくさんいます。時にはお手伝いさせてもらうこともあるので、これ以上うれしいことはありません。ただ、まちの人からすれば若い人は一緒くたに見られます。私は悪者になってでも、そんな彼らを守りたいのです。
もし、このまま祭りが続くのであれば、一生懸命頑張っている他の若い人や学生の活動への妨げになることは間違いないので、今の状態を修正し、場合によっては阻止するのは私の責任でもあると思っています。たぶん他に言う人はいないだろうし・・・。もちろん、修正しなければならない彼らのことも守りたいです。

長文・駄文失礼しました。最後までお読みいただきありがとうございます。
発言したからにはちゃんとやります。

でも、こういうことを書くようになったということは・・・年をとりましたなw

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